取り立てて騒ぐほどの問題ではない。
頑張ってもそれに見合った評価なり結果が出なければやる気を無くすのはいつの時代も同じである。

自分の考えをはっきりと言う20代が少ないように思うのは確かであるが、それは自分の考えがないのではない。自分の考えをはっきりと言ったところでそれを受け入れてくれない年長者がなかなか少ないということを今の20代前半の方々はよく解っていらっしゃるのだ。

こちらが心を開きじっくりと腰を据えて話してみると意外な程にしっかりとした考えを持っていることがわかる。それは勿論、若い考えではあるものの目標なり夢なり、そういったものはちゃんと持っているのである。
彼らがそれを語ることがないのは静かにそのタイミングを待っているからなのだ。

インターネットや個人専用電話(携帯電話)があるのが当たり前の環境で育ったことにより、声を大にして訴えるという方法ではなく、文字にして訴えるという方法がメインである。
言葉を少なくする方法を選択したことにより、感じる能力は30代以上に比べて高かったりもするのだ。
「何を考えているのかわからないな」とオッサン達がブツブツ言ってる裏側で、彼らはオッサン達の腹の中を見透かしているということも少なくはない。

凡そ20年前、「新人類」という言葉が流行った。
当時の20代もやはり、その頃の30代以上の人から見ると特異な思考や行動だったのである。
それは特別な変化ではなく、若者を理解できない人々が若者とそれ以外を線引きして分けることにより、わからない世代をまるで別の生き物のように考えることで誤魔化したに過ぎないのである。

学校では教師が相手である。教師は教師としての立場で生徒と話をする。
家庭では親が相手である。親は親としての立場で子どもと話をする。
これに対して子どもは本音を言えることのほうが少ないのは当然である。それぞれの立場からものを言うのだから、それに見合った返答をするのだ。子どもは鋭いのである。

本当は熱いものをもっているのだ。口にしないだけで。
「新人類」の頃もそうだったように、「ゆとり世代」も変わらず情熱を持っているのである。
何も変わらない。若者は何時の時代も熱い。
背景にある時代が違うだけである。背景が違うから別物のように見えるだけなのだ。時代というフィルターを取り去れば、「ゆとり世代」の本音が見えてくる。
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【サックスとfujiborn】
音の強弱の表現と音量の大小は違います

サウンドトレジャー
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